球磨焼酎の歴史年表
室 町 時 代 | |
16世紀前半 |
球磨や薩摩で焼酎造り始まる。
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1546年 | ポルトガル商人がフランシスコザビエルに報告 「飲み物として、米から作るオラーカ(米焼酎)および身分の上下を問わず皆が飲むものがある」 |
1559年 | 相良氏勢力下の大口の郡山八幡神社に最古の「焼酎」の文字 「施主がケチで、工事の間一度も焼酎を飲ませてくれなかった。なんとも迷惑である。」 |
安土桃山時代
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1592~1598年 |
文禄・慶長の役。秀吉に従軍した相良氏は、焼酎を造る朝鮮人技術者を捕虜として連れ帰った。
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江戸時代
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1657年 |
酒造株制度開始。焼酎醸造販売には「株」が必要(人吉城下)
城下以外には「入立茶屋」という別の許可。自家用は自由。 醸造販売が認められた蔵元は20軒。米焼酎はここだけで。 農民は大麦など雑穀の自家製焼酎。米焼酎は貴重品。 |
1705年 | 鹿児島で、甘藷栽培開始。(芋焼酎は1782年~) |
明 治 時 代
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1871(M4)年 |
酒造株制度が廃止。届出れば誰でも酒造可能。約60軒群立
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1875(M8)年 |
「肥後国球磨郡村誌では、清酒製造量は焼酎の1.3倍
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1898(M31)年 | 焼酎等自家用酒製造、全面禁止。 |
1902(M35)年頃~ | 焼酎販売の本格的開始。蔵元毎に銘柄つき商品として流通。 |
大正時代
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1913(T2)年頃~ |
原料に白米を使用(それまでは玄米)
二次仕込法の採用(それまではどんぶり仕込み) |
1923(T12)年 |
製造業者53 製造数量1723㎘
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昭和時代
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1940(S15)年頃~ |
黒麹菌を使用(それまでは黄麹菌)
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1945(S20)年~ |
5年間、米不足で公式には米焼酎製造不可。芋・麦焼酎製造。
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1950(S25)年頃~ | 白麹菌を使用 (昭和45年以後ほぼ100%白麹菌に) |
1972(S47)年頃~ | 減圧蒸留器の導入開始 |