守り継がれる伝統
磨き続けられる技

遙か大陸に由来する伝統の醸造法を
連綿と受け継ぐ球磨焼酎。
そして、銘柄の味を大きく左右する、
造り手「杜氏」の舌と技。
よりおいしい焼酎を造るため、
その技術と味は日々磨かれ、
進化し続けています。

500年の歴史を誇る「球磨焼酎」の文化

 人吉球磨地方では、約500年前の室町時代から米焼酎造りが行われてきました。藩主相良氏は当時、東南アジアや大陸と活発に交易をしており、蒸留技術が持ち込まれたことが焼酎造りのきっかけになったのではないかと言われています。焼酎は瞬く間に人吉球磨にひろがり、人々の心を魅了しました。人吉球磨の独自の文化が造り出した技は500年近くもの間変わらず受け継がれ、現在も27の蔵元が点在し伝統の製法と多彩な味を守り続けています。
 銘柄の味を大きく左右する作り手である“杜氏”たちは、先人たちより蔵の味を受け継ぎ、さらに新しいものを模索しながら丹精込めて球磨焼酎を作り続け、この地域の誇るべき文化となっています。

日本最古の焼酎は米焼酎

球磨焼酎の歴史年表

室 町 時 代
16世紀前半
球磨や薩摩で焼酎造り始まる。
1546年 ポルトガル商人がフランシスコザビエルに報告
「飲み物として、米から作るオラーカ(米焼酎)および身分の上下を問わず皆が飲むものがある」
1559年 相良氏勢力下の大口の郡山八幡神社に最古の「焼酎」の文字
「施主がケチで、工事の間一度も焼酎を飲ませてくれなかった。なんとも迷惑である。」
安土桃山時代
1592~1598年
文禄・慶長の役。秀吉に従軍した相良氏は、焼酎を造る朝鮮人技術者を捕虜として連れ帰った。
江戸時代
1657年
酒造株制度開始。焼酎醸造販売には「株」が必要(人吉城下)
城下以外には「入立茶屋」という別の許可。自家用は自由。
醸造販売が認められた蔵元は20軒。米焼酎はここだけで。
農民は大麦など雑穀の自家製焼酎。米焼酎は貴重品。
1705年 鹿児島で、甘藷栽培開始。(芋焼酎は1782年~)
 
明 治 時 代
1871(M4)年
酒造株制度が廃止。届出れば誰でも酒造可能。約60軒群立
1875(M8)年
「肥後国球磨郡村誌では、清酒製造量は焼酎の1.3倍
1898(M31)年 焼酎等自家用酒製造、全面禁止。
1902(M35)年頃~ 焼酎販売の本格的開始。蔵元毎に銘柄つき商品として流通。
大正時代
1913(T2)年頃~
原料に白米を使用(それまでは玄米)
二次仕込法の採用(それまではどんぶり仕込み)
1923(T12)年
製造業者53 製造数量1723㎘
昭和時代
1940(S15)年頃~
黒麹菌を使用(それまでは黄麹菌)
1945(S20)年~
5年間、米不足で公式には米焼酎製造不可。芋・麦焼酎製造。
1950(S25)年頃~ 白麹菌を使用 (昭和45年以後ほぼ100%白麹菌に)
1972(S47)年頃~ 減圧蒸留器の導入開始
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